今、そこにいる僕
ストーリーキャラクタースタッフビデオBBSRONDO ROBE


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(No.1642) toshi-yk 題名:禅の世界へ 投稿日 : 2000年1月28日<金>03時39分
 禅の世界、戦メリ,リヴァイアスの某氏のセリフで活性化された記憶、の関連で妙な後日談が浮かんで来て処理に困ったので排出します。

 ザリバーズの広場。サラが暫定的に代表になって初めての公務が、アベリアの裁判。民の納得を得られる一定の刑罰は与えねばならず、同時に今後の再建に彼女の無比の能力が不可欠であることから、死刑はもとより長期の拘束に帰結する刑罰も避けねばならない。ただの十五歳の少女である彼女には重すぎる裁定だった。ためらいがためらいを呼び、アベリアの淡々とした供述の声が響く中、彼女は重度の日本フリークだったアメリカ時代に知識を得た禅その他についての妄想に逃避していった。彼女がいい加減イイ感じになっていたところに、アベリアのこの言葉が飛び込んできた。
「私は、ハムド様の下僕だった・・・」、彼女は朦朧とした気分のままこの言葉に飛び付いた。
「下僕だったからと言って罪を逃れることは出来ません!」
「なぜそんな決め・・・」
「下僕であることを自分で知っているからです!」
「ならば私は極・・・・」
「下僕だったなら罪を逃れることは出来ます!」
「え?さっき・・・」
「どう思おうとあなたは下僕だからです!」
彼女はイイ気分。アベリアはといえば・・・
「・・・大悟した」

 アベリアは大悟した。そう、彼女もララ・ルゥ捜索の過程で古代文献の中の禅その他に嵌まりこんだ過去を持っていた。
「このアベリア容赦せん!」
「Ury、いえとにかく私はあなたを裁き・・・」、彼女は高揚した精神のままこの言葉に飛び付いた。
「あなたには私を裁くことはできない!」
「な・・・」
「自然の流れに過ぎないものを自らの決断だと錯覚するのは増上慢である!」
「そんなことはあなたに・・・」
「あなたは私を裁きうる!」
「え?さっき・・・」
「自然の流れに対するためらいゆえに!」
彼女はイイ気分。サラはといえば・・・
「・・・大悟しました・・・アベリア、あなたには地下の泉で二日のギョウ(行)を命じます。花と饅頭しか食べちゃダメ。そのあと、臨時政府の全閣僚ポストへの就任を要請します」
「御意」

 歴史家記す:記録者未詳のこの裁判は、他の資料を見るに判決に異議の無いうちに終了している。文中に描かれている理由からくる政治的配慮もあろうが、主役二人の高揚に聴衆が幻惑されたと考えるのが妥当と思われる(註:例外がただ一つ、ヘリウッド陥落の際の水害から救出され水腹を擦りつつ傍聴していた元ヘリウッド少年兵「多武漏」のもので、「ケッ」)。
 裁判のいきさつは、サラが所信表明演説で述べた言葉を題名に採ったザリバース書院初刊行の本「生活の中の禅」に、「下僕裁き」の名前で公案としても治められている。(中略)また、彼女達は余人には介入しがたい古代文献の秘義についてよく議論を闘わせていたという逸話が残っているが、周囲のものが分からぬなりに単語を覚え書き残したところによると、「ストレイツォ、ディオ、エノキヅ」(以下略)

 お目汚し、失礼。禅匠、研究者、愛好者その他、禅を思う方々ご免なさい。あながちただのおふざけではないのですが、結果としての出来は別なので。それでは。
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(No.1643) toshi-yk 題名:哀れな狂王へ 投稿日 : 2000年1月28日<金>03時41分
 一瞬注目されかけたのにアベリア&月影蘭談義に圧殺されてしまった感のある哀れなハムドの再評価(罵倒)を願って。
 僕としてはある意味彼の能力発揮に期待していました、最後まで。12話までに彼の能力発揮の場面は二つ。一つは三話でとちくるって渋るアベリアを無視して味方巻添え主砲発射の後、放送の時「だけ」見せた堂々とした態度。少なくとも公私の別をつける知性、はったりをかます自己演出力はある、と。さらに五話の銃撃戦。慌てふためいている割に狙いはかなり正確、軍人としての非凡さを伺わせた。つまり、先制的自衛の戦略が裏目に出て権力と生命の喪失に脅え精神的破綻ダメ男寸前に追い詰められつつも、最後の一発逆転の切り札であるララ・ルゥの獲得に全てを賭けている、基本的能力は少なくとも水準以上、ともすれば非常に高い人間、というのを想定して十二話までを見ていました。
 それが十三話、銃撃は当たらんわ(いや、まともに当たったらまずいんですが)シュウに殴られっぱなしだわ、完全崩壊するは、その結果アベリアには見限られるは、ダメ男方面ばかりが拡大。設定を援用するのは気が引けるが、たしかあなたは何よりも軍人として英雄と讚えられているのではなかったのですか。これが「一度全てを手に入れ、保身が目的になってしまった人間の衰弱」を自覚的に描いたのなら大したものだと思うのだけど(違っても勝手に大したものだと思うのだけど)、どうなんだろう。

>KIKOさん
 お気遣いどうも。ここ最近での量では誰にも負けない自信が(MINEさんと双璧かな?璧か?)。質は・・・うわあ。
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(No.1644) 天野 題名:禅の世界の話 投稿日 : 2000年1月28日<金>04時43分
いや〜素晴らしい。素晴らしい禅の世界です。理想の世界です。
サラが日本フリークでZENに造詣が深いとはやられました。
大悟アベリアと大悟サラが統治する世界……いや素晴らしい。

>哀れな狂王へ

私もハムド様には期待していたんですが。最後で真の無能ぶりを発揮してくれて無念。不完全燃焼。

………

国営超短波放送(NUB)による統合政務大臣アベリアへの臨時政府成立一周年記念インタビューから抜粋。

アベリア「……ええ、私はハムド様の下僕でしたよ、というのも、あの方は英雄で、演説口調といいあの確信に満ちた表情といい、ただならぬ雰囲気が漂っていまして……」
記者「それは貴方にも言えることですね」
アベリア「(気にせず)これだ、と思いましたね。この方こそ、私の主人に相応しいと。それで、私は彼を主人に『選んだ』(注・記者による強調)のですよ。…中略…あの方と一緒ならドコへでも行けそうな気がしてましたよ」
記者「ところが、あの「蜂起の日」には、あなたは水門を開いてハムド氏を溺死させてますね。これは……」
アベリア「あの日はもう、これ以上ないほどがっかりでしたよ、全く」
記者「ずっと無能な男に仕えていたのがですか?」
アベリア「いや、そうではなくてね。あの方が実は無能ってのは薄々感づいていました。よく考えたら、いつもいつも支離滅裂な事ばかり言ってるしね。そうではなくて……あの錯乱ぶりでは、脱出して愛の逃避行という事も出来ないじゃないですか。冷静でさえいたら、混乱に乗じて逃げる隙はいくらでもあったのに。それに、武器を持ち出せていたら、能天気な非武装の村を襲撃してヘリウッド再建も夢じゃなかったのよ。あの大水害で皆茫然自失していたから、絶好の略奪日和だったのに」
記者「ははあ。しかし、だったら何故殺さなくてはならなかったんですか?」
アベリア「あの方の命令よ。ここではないどこかへ連れて行けってね」
記者「それで地獄へ送ってやったと。いやあ、大笑いですなあ」
アベリア「あの方にとってはこの世こそ地獄だったわ。猜疑心の塊のような人だった。遂にザリバースを壊滅させても、全然『安定』しないんだから」
記者「では、忠義のしるしとして、ハムド氏を何の憂いも無い世界へ送ってやったんですね」
アベリア「そうよ」
記者「そうですか。いや、大臣閣下の忠義ぶりには頭が下がりますよ。さて次は、現在のご主人であるところの大統領閣下との関係についてお聞きしましょうか」
アベリア「いや、それは国防秘密なんで……」
記者「何がどう国防秘密なんです?そこをお聞きしたい」
アベリア「私には最高度の守秘義務があって……失礼」
記者「あ、ちょっと……」

………
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(No.1645) 天野 題名:時代劇における後顧の憂い 投稿日 : 2000年1月28日<金>05時14分
>KIKOさん
>えっ、「消える」・・・。「消える」ってこの掲示板のことですか?それとも天野さんがこの掲示板から消えてしまうのですか?
>ん゛ん゛〜〜〜〜、どっちも嫌だぁぁぁぁっ!!!!

いや、前者の方です。が、まあ恐縮至極です。

>でも、どちらにしても消えるのは嫌なんです。だってせっかく皆さん仲良くなったことだし。
>しかし、そうは言ってもモノには始まりと終りがありますから、いつかこの掲示板も消えてしまうのでしょうか。
>っていうか、何でこんな縁起でもない話をしているんだろう、僕は。

まあ、またどこぞのBBSで会う機会もあるでしょう。
って、まだ気が早いですな。

>いや、ほんと、血が全く飛びませんでしたね。しかも遠慮なくジャンジャン切っちゃって。「今僕」であれほど
>議論した後だとなにか妙な気分です。

そういえばそうですね。忘れてました。

>それとも切っているんじゃなくて「某るろ剣」のように逆刃刀でみね打ちでもしているんでしょうか。でも、
>それじゃあの3人組が怪我をした理由が分からないしなぁ。いやまてよ、逆刃刀で逆の切り方をしているとか。
>とにかく妙な感じがします。

あれでみね打ちとかだったら、後で盆栽一家は逆襲されるんじゃないですか?だから皆殺しにしたと思います。生き死にが関わるいざこざに首突っ込むなら後顧の憂いをなくさないと無責任ですね。(従ってミャオ姐さんがのした連中にもとどめを……)
時代劇ではいざこざに簡単に首を突っ込む素浪人の主人公は多いから、「時代劇」を狙ったこの作品では正当な展開ですね。ラストの雰囲気も時代劇そのままで素晴らしい。皆殺しの必要性とか、敵役の家族とか、その辺の問題を完全に棚上げにして描写しないのも時代劇の王道!

>(「周辺事態」、なかなかいい得て妙な表現ですね。「今僕」にぴったりです。)

恐縮です。

>あ、「ナブカとタブール関連を探していた」ということで感じたのですが、キーワード検索機能があると便利ですよね。
>さらに放映日を期間に指定できたりするともっと便利かも。ををっ、良いアイデアかも。

そういうのがあったら便利ですねえ〜

http://ww3.tiki.ne.jp/~sioworks/amano/index.html
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(No.1646) MINE 題名:ギニャー!! 投稿日 : 2000年1月28日<金>06時48分
(テンポよく読みましょう。イメージ的には無声映画の弁師)
月影蘭は「時代「劇」」、ゆえに 血なんていいのら(^_^)/(いえーい) アベリア様は演歌、なかなかうまいっすね! 曲も本格的で いやさ、角度かえれば有り体な無難な曲転調っともいえるけど、演歌のメロディはほぼ固定化しているから当然なのさってのは いいとして、演歌ってむずかしいようで簡単よ、ただ歌える人とそうでない人(好みじゃなく)いるのぅっさ、 え? おいらは得意な方よ(笑)。 小さい頃から8トラで育っている、新しい曲は気恥ずかしく 唄うはアニソンか90年より前の曲、GSなんかがおいらの十八番 って 一体なにがいいたいこんちくしょー(笑) あ、演歌うまいっていえば、幽限会社つーアニメの松本梨香。 ま、 それはおいといて 気長にみよーぢゃないか生徒諸君(誰?)! そうさわれら青春でっかい太陽さ!(なに?)

:KIKOさんへ
>ごめんなさい
いえいえ いいのです(^_^)/ 

:水城さんへ
>、「ふませて」もらいます (^^;)チガウ?
 ああ そこ、そこです、 ねそべった状態で背中ふまれるの好きなんす。 ああ ええわ〜〜 「ぽきい」 あ、骨なったなった ああええわ〜〜(逃避モード)

*****************
小林よしのりは おいらは 好きな部類嫌いな部類に入る人物。 一辺倒で「おや?」って思うところもあるけれど、ままキラリとひかるものもあり。 しかし、悲しいかな 実討論になるとちょと弱い(T_T)/ 朝生でも弱さがでてます〜。 がんばれのりさん(誰?)

*****************
:toshiさんへ

>量では誰にも負けない自信が(MINEさんと双璧かな?璧か?)。

 ども〜〜(^_^)。 おいらなんか 文章表現力とかまとめがさっぱりなので ホントダラダラ載せていいものかどうかと めちゃめちゃ悩みます(T_T)/
 toshiさんの文章表現力にタジタジっすうううぅう〜。

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 ここで 無断で紹介おゆるしください。 セガBBSの ショウさんの「ショウ 2000/01/28 01:43:52 」の書き込みをマジマジ読んでました。 いやさ、ここまで広範囲にバランスよく?指摘していると うなってしまいます(゜o゜)(おお〜)。 一度読んでみてください。


 いやさ、それでもおいらは 前の書き込み通り どんな作品にも失敗作はないって思ってますねい(^_^)

http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
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(No.1647) ラバウル銀座 題名:南京たますだれ 投稿日 : 2000年1月28日<金>12時18分
>こうにさん
すぐ終えます。今しばしごめん下さい。
>天野さん
>南京の軍司令部が虐殺を命令した結果虐殺が起こったかどうかという問題
そういう問題でしたか。それは大いに議論を尽くしてほしい問題です。私は命令の有無には言及しません。

さて、天野さんの「問題」のとらえかたは歴史家的とらえかたであり、そういう冷静なやり方もアリです。(そちらが正統か?)
こういう言い方をすると私が冷静でないかのようですが、まさにそのとおり、所々熱血なのです。アメリカ人が占領地で何をやってきたか、知ったこっちゃないデス。(知れってば)アルバニア人が色々とやっているのも気になりません。(気にしろよ)ですが、日本人はやってはならんかったのです。否、やってほしくなかった。
民間人殺害、略奪、レイプ、どこの戦場でも起こった事、には違いない。しかし、大東亜の盟主たる天皇陛下の軍隊が、アジアの同朋に対してそんなことを(組織的に?個人的に?)やったと言う事に、深く恥を感ずるのです。五族協和だいなしです。戦場にはつき物とは言え、やられたほうは恨みますわなあ。(サラみたいに)

そんな感じです。つまるところは、わたしの個人的信条(内緒)に、「なかった」風な言論が強く抵触したから感情的に反発したと。あと、天野さんの文章を注意深く読んでから書き込む労を惜しんだことについてはごめんなさい。おわり。
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(No.1648) 佐藤@komaba 題名:ヘリウッドという映画 投稿日 : 2000年1月28日<金>13時42分
予告通り日本映画「ヘリウッド」の内容について記述します。

この映画は,冒頭いきなりでっかく
「この映画を地球防衛のために戦った正義の使者と少女探偵段に捧げます」

 時は宇宙暦2001年 ところは東京,気○い生体学者 パンク ポンプ シンバル と 悪漢親玉 松玉斎ダンスは地球征服をたくらんでいた。

 そこで宇宙の大王はその野望のカギとなるアップル少年をモモに閉じこめ地球の平和は保たれたかにみえた。が,そのモモも地球に向かおうとしていた。
危うし地球!!(この大王とういのが,女性の生殖器にしか見えない)

 一方地球では用水路で洗濯していた神父様がそのモモを拾いアップル少年誕生以後16年間仲むつまじく暮らしていたのですが、いきなり失踪。裸蝶ネクタイにてぬぐいを股間に広げてにこやかに並んでたつ二人の写真をみて涙する神父様
 
 そのころシルバースター劇場ではダンスによるコンサートが開かれていた
「私はほんとにツウ好み、私もミーハー、あなたもミーハー」
そのダンスこそがアップル少年を子飼いにしていたのである。今日もアップル少年を改造するために特大の浣腸をしたりう〇こをくわせたりするダンス。その会場に忍者の扮装をして潜入する神父。しかし、観客の帰れコールになきながら帰っていく・・。

 こうした話しの合間に5ー6分の農学博士のおたべ実篤(鉄の芸術家のはげおやじクマさんだ)による植物学講座や10秒の休憩時間や高校生の隠し芸大会等々が何の脈略もなく挿入される・・。
 あと30分「いよいよクライマックス」の文字。だがなにもおこらない・・・。
 最後はトチくるった神父様がコンサート会場に乗り込み機関銃を乱射。銭湯の湯の中に倒れこむ女子高校生。延々と続く血みどろ。どさくさにまぎれて死ぬダンス。

おたべ実篤著の「自由植物誌」の宣伝が出て映画はおしまい。

 書いていてる私もよくわからなくなってきましたが,実際に見てもそういうものでした。でも,児戯と残虐はたっぷりです。もし制作者の人がこの映画をみてハムドというキャラをつくったのだとしたらまさにビンゴですね。
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(No.1649) らいでん 題名:サラの決断 投稿日 : 2000年1月28日<金>13時44分
またカキコしてしまった(^^;)
みなさんのログ読んでたら、ちょっとね。。
サラが子供を産むかどうかって、結局、わかんないよね?
子供ひとりで、あんな状況で産めるとは思えないし。
それは、それ。
産む決心をつけるのは、サラだよね。
サラのまわりには、それこそ誰の子だかわかんない、
小さい子供たち、いたよね?
産まれてこなけりゃ、楽しいことも、嬉しいことも、
感じられないでしょう?
彼らを見て、そう思いませんでしたか?
母親のエゴと自己愛、良く言えば小利口な判断(良くないな)で、
子供を堕胎するのも、それは、それ。
産まれてくる子供に罪はない、って、母性のまま、
愛して育てるのも、それは、それ。
結局、決心はその人にしかできないんだし、
どうなるかなんて、結果論ですよね?
サラを強姦した人も、兵隊になる前は、いい人
だったかもしれないじゃない。
シスの最期の言葉を理想論とか、おためごかしとか
言う人がいたけど、それはちがう。
ああいう状況のなかで、
村のヤツらに殴られてでも、知らない人の子供を
女手ひとつで育ててきたシスだから言えたんじゃない?
あの中に、シスが産んだ子供がいたかどうか、わかんないけどさ。
産まなきゃよかった。
産んでよかった。
自分で決心したことに、後悔するヤツが悪い。
周りから言われて、パニクってたから、あのときは
それでいいと思ったの。本心じゃなかったの。。
…それで?
暴力で一方的に産まされるんでなく、自分で産もうと
決心したからには、サラは、それなりに頑張れると思う。
イヤになって、自分の子供を殺すことがったとしても。
誰にも何もしてあげられない。
テレビの前の戦争見て心を痛めてるだけの、
何もしないたくさんの人達と一緒でしょ?
何もしてないんだから。
何もしてあげられないんだよ。
希望って何でしょうか。
人が死ぬ世界での希望って何?
自分が生きるためにたくさん食べられること?
人を殺してでも自分が生きること?
どれも否定しないけど。
私は結局、ここにいるだけだから。
考えるのは自由だ。
監督に、あの世界の舵取りについて文句を言うのは、
テレビニュースのキャスターにウソを話せというようなものだ。
なんだか、皆さんのカキコを読んでてそう思いました。
世の中に影響を与えるマスメディアのありかたを、
アニメやら南京大虐殺は史実かどうか番組やら、
すべてについて、考えさせられてしまいました。
ああ、長いなあ。。。すいません。
最後に。
事実はひとつとは限らないですよね。
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(No.1650) 水城瑞穂 題名:じつはブゥがすき(ショタじゃねんだったら)1 投稿日 : 2000年1月29日<土>03時04分
もー、どーでもいーや。愛憎は裏表、とはよく言ったものだ。

 別にリクエストがあったから書いているわけではないのですが、今回はナブカ、ブゥ、そしてタブールについてなぞ・・・
 ナブカは、まあ「いいやつ」です。いい人、というのは、実社会にもよくいるタイプであるのですが、そんな人は実は「どうでもいいひと」という事もあり得るし、いや、彼は彼で必死だったかもしれないのは確かなのだけれど、彼は不作為の罪みたいなもので、死んだのかもしれない。
 まあ、酷い書き方ではあるけれど、彼の考え方はかなり固定観念に染まってしまっています。自分のまわりの世界の状況の変化に対応出来ず(自分が聞いた情報のみを信じていること・・・まあ、年齢的にそれを要求するのも酷だが)、決して自分の信念を曲げずに「生きてきた」からです。だから、最終回(時間では12話)で、ずっとそばにいた、自分が「守るべき存在」であったブゥが、自分の身代わりになって死んでしまい(このシーンこそが、ブゥがいたその「理由」だったのかもしれません・・・彼はまだ考えが定まらない年端のいかない幼児に近いのだから・・・)、それに加え「帰る」べき村がない、というタブールの言葉に、自分が持っていた根本的価値が全て崩壊してしまいました(可哀想に・・・)。
 それは、シュウが洞窟の中で「いっしょに逃げよう」と手を差し出した、その時の長い沈黙が、彼が悪い意味での「現実主義」に支配されていた、というものを表しています。あの時に帰るべき村が既に消えていたという事を知っていたなら、また状況は変わったのかもしれない。少なくとも、シュウと同行して村を略奪した作戦に参加した時点で、ナブカは自分と同じ境遇の子供に出会ったときに、自分がされたいやなことを、他人にしてしまったこと(いわば、理不尽なことを拡大再生産した・・・サラが殺人をしてしまって、それを後悔したということとは対照的なことだろうか・・・)が、最大の罪であろうか。その後ナブカは、その子供の恨むきつい目線を、思わず逸らしているのが、まだ彼に救いがあったとは思ったのだが(少なからず罪悪感は感じていたのか)。
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(No.1651) 水城瑞穂 題名:じつはブゥがすき(ショタじゃねぇ)2 投稿日 : 2000年1月29日<土>03時05分
 結局、ナブカは殺戮をやりすぎた・・・自分の信念の前には、誰が死のうと構わないとスーンの前で狂ったように言ったその「言葉」が、直前に、震えて(ああこのシーンがいいよなぁ)必死になってララ・ルゥーを守ってあげようとした、父の帰りを待つ優しいスーンを変えてしまった(悲劇の拡大再生産)。そして「か弱き」ブゥが倒れ、スーンも。因果応報というには悲しすぎる。
 そして、人を蹴落としてでも、生き残るという道を選択したが故に、同じ考えを持っていたタブールに殺されたのだと。タブールはタブールで、戦闘の技術にはナブカに劣っていたというコンプレックスを当初から抱いていて、いつかはナブカより強くなってみせるという考えで生きていたのだろう。そのナブカが、すっかり落ち込んでしまう姿を見て、もはや自分の力を、より高めてくれる「ライバル」ではないナブカの利用価値がないと見限って、タブールは殺したのだろう(ナブカを立ち直らせるという、考えはこれっぽちもタブールにはない・・・)。そういう殺意は「無駄」を省く戦時体制ならでは、かもしれん。信じている「ゴール」というのが違っていたというのも、ナブカにとっては、「仲間」と思い込んでいたタブールの裏切りも残酷だ。
 そんなナブカにとっては、せめてもの最終回。決してシュウの考えを「選択」はしなかったのだけれど、ナブカにとっては何もかも失ってしまった今では、最後の砦みたいな、かつては少なからず「こころ動かされた」シュウのもとに、その最後のいのちをふりしぼって、シュウのもとへ、ブゥの遺志を運ぶように「木の棒」を届けてあげるわけです。せめてもの罪滅ぼし、とはいかないまでも・・・。俺は帰れなかったけれど、「おまえは帰れと」と伝えるために。
 その後、ナブカのスカーフで固定した木の棒で、シュウが立ち上がるのはお約束かもしれないのだが、・・・死んでしまった彼らの遺志を象徴しているのか・・・ぼろぼろになってしまう木の棒では決してハムドの命までは取れない・・・リミッタ付きの暴力で、ということに意味があるかもしれない。(ここでやってることは言葉遊び・・・なんだろうか? ま、言うだけなら只だからいいけど・・・裏打ちされないものは悲しいよね)
Mozilla/4.51 [ja] (Win98; I)
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