今、そこにいる僕
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[ ログNo.869〜No.878 ]

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(No.869) のむら了 題名:「独善」について(前編) 投稿日 : 1999年11月27日<土>01時36分
>天野さん
毎度長々とカキコんでしまいます。
その他のミナサンのも御迷惑をお掛けしているよーな気がして 恐縮なのですが。

ひとつ言葉の整理をさせて下さい。
「独善」についてです。

>独善とはそれぞれの価値観の特性を言うのではなく、自分の価値観を他人に強要する行為の事です。

ウチにある昭和時代発行の古い国語辞典に依りますと
『どくぜん(独善)=「ひとりよがり」の意の漢語的表現。「ーを排する:ー的」』
(新明解国語辞典 第三版 三省堂刊)
とあります。
天野さんの仰るような「自分の価値観を他人に強要する行為」に限定された言葉でない物と考えます。
(一般的にはどうでしょうか)

つまりワタシは 天野さんの「独善」と言う単語の用法に他者とのズレがあるのでは、と推論するい至りました。
「独善」と言う単語の意味を 上記国語辞典のような物に置き換えて頂けると

>ただ、「独善でないことを証明する」為には、自分と意を事にする人に自分の価値観を強要しなければ良いだけの話です。

この発言が全く意味の通らない文章になる事はお分かり頂けますでしょうか。
「ひとりよがり」でない事を証明する為には 他者に価値観を強要しないだけでは不十分で、やはり自他共の価値観を擦り合わせ、分かってもらう必要がありますよね?

>議論の過程で相互理解の為に価値観と価値観を戦わせる事があったとしても、その結果相手との変え難い距離を理解したなら(これこそが相互理解です。相互理解とは必ずしも相手と自分の価値観をマージする事ではありません)、

ここまではその通りですね。ですがそれ以下に続く

>無為にごねずに相手の価値観を置いておく事が「独善でないこと」です。

に関しては もう一歩懐を大きく持って、
「無為にごねずに相手の価値観をも認める事が「話し合う」と言う事です。」
とは いきませんか?

>個人の動機を他人の価値観と擦り合わせる必要はどこにもありません。

その動機に対し 他者が概ねの理解、了解が得られる場合はそうでしょう。
でも他者が その発言や行動の動機自体に納得のいかない場合は やはりそれを分かってもらう必要があります。
「何故この人は こんな事を言うのだろう?」と考えませんか?
それはその人の言葉を理解し、その人そのものを理解しようと人間が考えているからです。
(犯罪に於いて その動機がその判決に大きな意味を持つのは こういう側面からだと考えます)

ですからワタシは

>動機、つまりは発想の原点としての「善」と「独善」の振り分け方が 他者のそれとは違っていて その証明、擦り合わせが為されていないワケです。
>そこが重要である と。

と書かせて頂いたのです。
天野さんは あくまでこれを重要だとはお考えにならないのでしょうか?
御自分の発想の原点は絶対であるとお考えですか。
もしそうなら もはや話し合う余地など無いのかもしれませんね。(;_;

最期に大きいのをひとつ。(後編に続く…続かせて!)(;_;
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(No.870) のむら了 題名:「独善」について(後編) 投稿日 : 1999年11月27日<土>01時37分
(後編です)

>天野さん
>>>(天野さんの発言)動機として独善を善とは思わないというのがあり、私が独善の匂いを感じたこの話題に善悪判断を排したコメントをしたのです。
>>(のむら了の発言)また 上の天野さんの発言の引用は 明らかに矛盾を含んでいます。
>>(のむら了の発言)「善悪判断を排した」と仰っていますが 論ずべき話題の中に自らが「独善の匂いを感じた」と既に発想 の動機の部分で判断なさってから論理を展開なさってますから。
>(天野さんの発言)サラを全面的に是として兵士を全面的に否とする議論に独善の匂いを個人的に感じた私は、サラと兵士の行為に対する是や否などの価値判断を排した論を展開して双方の行為の客観的な類似性とその物語上の意義や配置を指摘しました。是や否といった価値判断とは別の見方を提示する為にです。私が感じた「独善の匂い」を証明する事が目的ではありません。
>こういうのは矛盾とは言わないと考えます。

引用の前半と後半では「善悪の判断」と「是非の判断」と言うように 発言の内容に差異が表われています。
「善悪」と「是非」は似て異なる物。
内容の訂正をお願いしても 失礼ではないでしょうか?

>>もう止めた方がイイっすか?(^^;
>そのようです。
>私の行動原理に興味がある人は少ないでしょうから。お茶目なハムド様の話題の方がいい。

済みません。もう少しおつき合い下さい。(笑)
ワタシから天野さんへのラヴコールだと思って。(超爆)(自滅)/(-_-@\
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(No.871) NASTY@風邪ひいちゃいました 題名:スカーフの色 投稿日 : 1999年11月27日<土>02時23分
痰が絡んで仕方ないです。
薬は余り使わない様にしてるんですが今回は必要かも

>久城さん
>私は彼が(というか一定年齢以上の兵士は)ヘリウッド要塞が稼働する以前からの
>ヘリウッド国民であったのではないかと考えています。それが彼ら緑スカーフの兵
>士達であり、対して現地調達の少年兵が赤スカーフではないのかと。
>つまり、ヘリウッド要塞が稼働した初期には、ゆがんだ教育を受け、ゆがんだ価値
>観を持った大人達のみが存在していたのではないかと考えるのです。
>そのため、ますます歪んでいってしまったのではないかと…。

これは気付かなかった!そーか、そう言われると納得です。
なるほどねぇ、スカーフかぁ。

>科学レベルが優れた教育環境であっても、その教育内容が文化的(倫理的、道徳的)
>教育であるとは限らないばかりか、その時点でゆがんだ価値観がカリキュラムに存
>在している可能性は否定できません。

勿論その可能性はあります。
しかし今作品中でのハムド様の奇矯な言動に対するしつこいまでの描写は、そうではない事を視聴者に伝える為のメッセージなのでは無いでしょうか?
おそらくは同じ、もしくは近似的なカリキュラムの教育を受けたと思われるアベリアの言動は(ハムド様に直接関係しない事柄に限られますが)、ヘリウッドの中に於いては比較的まっとうな感性を持っている様に思われる為にその対比で余計にハムド様の奇矯さが目立ちます。
コレはハムド様による支配と、それ以外を明確に区別する為の描写と考えますが?

>ハムドが統治する以前に、すでに社会が病んでいた可能性もあります。

旧ヘリウッド国においては確かにその可能性もあるんですが。
殺された兵士のプロフィールなんか放送じゃ詳しくやんないだろうし。
アベリアの回想みたいな感じで旧ヘリウッド国の様子見たいなぁ。
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(No.872) 天野 題名:特化議論1 投稿日 : 1999年11月27日<土>05時09分
>のむら了さん
>天野さんの仰るような「自分の価値観を他人に強要する行為」に限定された言葉でない物と考えます。

広辞苑第四版には、独善とは、
1 自分一人だけが善くあろうと思い、また努めること
2 自分だけが正しいと信じて、客観性を考えずにふるまうこと。ひとりよがり。「−的」
 −主義 他人の利害と立場を顧みず、自分一人だけが正しいと考える主義

とあります。私の「独善」の説明はこうでしたが、
>独善とはそれぞれの価値観の特性を言うのではなく、自分の価値観を他人に強要する行為の事です。
一般的にも独善という言葉はこう使われているのではありませんか。

それにしても、一体のむら了さんは独善という言葉をどういう意味に捉えているのですか?前に、
>つまり御自分の善が独善ではない事を証明する事は
との発言を為されましたが、「独善」とは「善」の特性をいう言葉では無い事は明らかです。

>つまりワタシは 天野さんの「独善」と言う単語の用法に他者とのズレがあるのでは、と推論するい至りました。

それほどズレがあるとは思えません。
のむら了さんはご自分の価値観を私に対する「他者」一般の価値観として多くの場合断言口調で語っておられますが、こう言ってはあれですがそれこそ独善ではありませんか?

>この発言が全く意味の通らない文章になる事はお分かり頂けますでしょうか。

上の説明から、件の発言の意味が通る事はご理解頂けますか。むしろ、
>つまり御自分の善が独善ではない事を証明する事は
との発言こそが全く意味の通らない文章である事はお判りになりませんか。あなたが引いた辞書の意味を見てもそうです。個人の「善」が「ひとりよがり」だったりそうでなかったりするのではなく、その善を他者に対してどう運用しているか、というその個人の「ふるまい」こそが、彼が「ひとりよがり」かそうでないかを決めるのです。

>「ひとりよがり」でない事を証明する為には 他者に価値観を強要しないだけでは不十分で、やはり自他共の価値観を擦り合わせ、分かってもらう必要がありますよね?

「価値観を判ってもらう事」は必ずしも価値観を擦り合わせる事ではありません。
あなたは価値観の擦り合わせによほどの重点を置いておられるようですが、私の言う、
>議論の過程で相互理解の為に価値観と価値観を戦わせる事があったとしても、その結果相手との変え難い距離を理解したなら
が、話し合ってどうにも擦り合わせが不可能だった場合の事を言っているのは明らかです。

>>無為にごねずに相手の価値観を置いておく事が「独善でないこと」です。
>に関しては もう一歩懐を大きく持って、
>「無為にごねずに相手の価値観をも認める事が「話し合う」と言う事です。」
>とは いきませんか?

「相手の価値観を認める」とはどういう意味でしょうか。私が言う「置いておく」とは相手の価値観の存在を否定せずに(存在を認めて)、それはそれ、自分の価値観は自分の価値観とするという意味です。「相手の価値観を認める」のにこの表現で不足だというなら、それはあなたの個人的な行動原理の問題です。

続く

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(No.873) 天野 題名:特化議論2 投稿日 : 1999年11月27日<土>05時36分
続き

>その動機に対し 他者が概ねの理解、了解が得られる場合はそうでしょう。
>でも他者が その発言や行動の動機自体に納得のいかない場合は やはりそれを分かってもらう必要があります。

論者が論を展開するにあたって自分の行動原理を説明し「了解」を得る義務はありませんし、普通はそんな事は問題ではありません。
議論において論者が個人的な行動原理を「判ってもらう必要」とは何なんでしょうか?議論で戦わせるのは行動原理やそれを導いた人格ではなくて論そのものです。

>「何故この人は こんな事を言うのだろう?」と考えませんか?

それは彼の論自体とははっきり別個の問題です。

>それはその人の言葉を理解し、その人そのものを理解しようと人間が考えているからです。
>(犯罪に於いて その動機がその判決に大きな意味を持つのは こういう側面からだと考えます)

「論じ方」を論ずるのに犯罪を引き合いに出すのは不適切です。犯罪は犯罪者の人格を考査して与える罰を決める必要があります。しかし議論ではその人の人格が問題になっているわけではありません。
議論に関するこういう話があります。ある人々は論争が熾烈な激論になっても論争が終わったら仲良く飲みに行くが、一方ある人々は論敵に人格を傷つけられたような気分に陥る。それは後者の議論では、論理的に議論を進めるよりも個人の動機や人格を批判しあう泥沼の様相を呈するからである。
議論で戦わせるのはあくまでも個人の動機やそれを導いた個人の人格ではなく論そのものであるべきではありませんか。議論とは論者の人格評議ではなく、「論」を議する行為です。

>天野さんは あくまでこれを重要だとはお考えにならないのでしょうか?
>御自分の発想の原点は絶対であるとお考えですか。
>もしそうなら もはや話し合う余地など無いのかもしれませんね。(;_;

個人的な動機までも他人の価値観と擦り合わせる事を義務のように言われても困惑するばかりです。
議論においては、論者の動機がどうであれ、導かれた論が何であるかこそが問題です。

大元の議論を離れてお互いの人格自体をのみ批評し合うというのならそれもありでしょうが、それは大元の議論とは別次元の問題です。
大元の論を批判する目的で論者の人格をどうこう言うのは極めて不当で無為な行為です。

>引用の前半と後半では「善悪の判断」と「是非の判断」と言うように 発言の内容に差異が表われています。
>「善悪」と「是非」は似て異なる物。
>内容の訂正をお願いしても 失礼ではないでしょうか?

私は「是や否などの価値判断を排した論を展開して」と書きましたが、これが先の「善悪判断」について説明している事は言わなくても判ると思いますが。「何が是で何が否かを決める価値判断」とは即ち善悪判断です。内容を訂正する必要がありますか?

さっき起きて、これから風呂です。「未来のゆくえ」はまだ読んでない。寒い。

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(No.874) toshi-yk 題名:勧善懲悪の印象はぬぐえないが・・・ 投稿日 : 1999年11月27日<土>07時45分
ヘリウッドには、戦争をその目的において支持して自発的に人的物的資源を供給する母体は無いのだろうか。そのため、あくまで殺人を否定するシュウへのアンチテーゼが力不足に感じられる。まずシュウと同年代の現地人であるナブカやブウ、タブールら少年兵はヘリウッドから見ればシュウ同様によそ者、さらに言えば被搾取者であり、戦争に積極的に参加する理由がない(彼等はシュウの言葉に余りにも簡単に揺れてしまう)。加えて戦争の合目的性の基準がハムドの権力資財並びに彼の軍隊の維持それ自体といった独善的理由を除けば、彼個人の「高邁な思想」(現状で考慮の余地があるのは少年兵たちの心の支えでもある「戦争終了のための戦争」くらいか)に還元されてしまっていて、ナブカたちを自発的に戦争に向かわせる説得力が皆無。ようするに、「搾取者と被搾取者が明白に分かれている状況に現れた救済者」という典型的な勧善懲悪ものの構造になってしまっている。この状況設定には、「当事者それぞれが第三者の批判・介入を許さないかに見えるだけの合目的性に基づいて相手の排除を結論するゼロサム的状況」の厳しさは無い。よって、僕が勝手に期待していた、「介入した第三者が、破壊され文脈を知り、それでも状況に内属しきること無く、非ゼロサムに向けて行動する」厳しさの表現は難しいかもしれない。ヘリウッドの根無し草ぶりとハムド個人に責任が収斂する構造のため、ゼロサムを温存したうえでの反転に過ぎないはずの勧善懲悪で話が収まってしまうから。だから、第七話でナブカがシュウの誘いを拒絶する場面を見たときは複雑だった。一方では観察者の気楽な視点から、もし手に手を取って逃げられたらそれこそハムド様粉砕の勧善懲悪路線まっしぐらで興ざめだから良かった良かった、でも留まる積極的理由ないよな、などと考える。他方では場面に感情移入して、逃亡できるとは思えないという状況判断か、ヘリウッドにいれば少なくとも戦死しないかぎり生きていけるという保身か、それとも強制徴収でも烏合の衆でもやはりヘリウッドと仲間への責任を感じているのか、と、理解できないゆえに彼を留まらしめたものについて考える。上記のような状況設定の構造的な稚拙さだけでなく、御都合主義やセンチに過ぎる表現も目に付く。「戦争の悲惨を要素として取り入れただけの冒険活劇」なのかもしれない(そういう楽しみ方もできる)。それでも個別の場面に「残る」ものがあることは否定できない。
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(No.875) シンヤ 題名:おめでとう 投稿日 : 1999年11月27日<土>08時15分
とりあえず逃げ出せましたね
でもサラは今どこに・・・・・
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(No.876) 天野 題名:消化不良 投稿日 : 1999年11月27日<土>08時32分
>toshi-ykさん
>勧善懲悪の印象はぬぐえないが・・・

同感です。

ハムドに忠誠を誓っているらしいタブールとナブカの違いがどこから生じているのかが全く不鮮明な事も気になる。
ヘリウッドの行動はハムド一人が決定しているようだが、彼に従っている兵士達の行動原理や意思表示がはっきりしないので、「俺これまで兵士やってて命令で殺しまくって犯しまくってたけど、実はああいうのには反対だったんだ。悪いのはハムドだ」という立場の存在が否定できず、世界状況判断に情報不足からの保留が多く、話も半ばを過ぎているのに未だに消化不良気味だ。

ハムドの台詞や設定資料などを見るとこの世界は星としての滅亡が危ぶまれるほど危機に瀕していて、また3話でのヘリウッド防衛戦に登場する大規模かつ超強力な敵勢力の存在からしても、この世界がゼロサムゲーム的世界である事が根本的設定として存在するように感じられる。ところが、ゼロサム世界であるのならば6話でヘリウッド軍の襲撃を受けた集落の人間がろくな自衛手段も持たず、有効な警戒と危機回避手段を何ら持たない事は非常に疑問だ。彼らの態度もあまりにも善良な被害者然としており、加害者・被害者の別が非常にはっきりしていてヘリウッドの悪役ぶりばかりが強調されている。生存が危ぶまれるほど水資源が不足していて、現実に水や人間の収奪が行われ、また水燃料を大量消費するであろう巨大兵器を運用する複数の軍事勢力が闊歩する世界でそれは余りにも不自然ではないか。

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(No.877) 久城 題名:背景描写が欲しいぃ〜 投稿日 : 1999年11月27日<土>10時57分
NASTY@風邪ひいちゃいましたさん、おかげんいかが

風邪ひている人がなんて時間までおきているんですか、早寝早起きは賢康の基本で
す。夜更かしばかりじゃ直らないですよ(^-^) 


>しかし今作品中でのハムド様の奇矯な言動に対するしつこいまでの描写は、そう
>ではない事を視聴者に伝える為のメッセージなのでは無いでしょうか?

カリスマ?
う〜ん、カリスマかな〜(?。?)。
書いていてもちょっと違和感有るんですけど、他人を引きつける個性というものは
他人との横並びでは実現できないものと考えます。
仮にハムドが異端であるとするならば、誰も彼に従ってないと思うんですよ。
『青は藍よりいでて、藍より青し』でしたっけ?正確な言い回しは忘れてしまいま
したが、そう言うことなんじゃないかと思います。
まあ、これは私がそう感じているだけでして、ハムドに対し異常性を強調した演出
を施し、視聴者の反感を煽るという意図が有るんでしょうけど…。

>おそらくは同じ、もしくは近似的なカリキュラムの教育を受けたと思われるアベリ
>アの言動は(ハムド様に直接関係しない事柄に限られますが)、ヘリウッドの中に於
>いては比較的まっとうな感性を持っている様に思われる為にその対比で余計にハム
>ド様の奇矯さが目立ちます。

アベリアは良いです(^-^)
私的には、ギュッと抱きしめて「もう無理しなくていいんだよ」と言って上げたくな
ります。次の瞬間射殺されそうですけどね(^^;)

ここで全くの推測ですが、ハムドとアベリアの出会いについて考えてみますと、ヘリ
ウッド国の社会的背景を仮定として考えることができます。ヘリウッド国では階級社
会が存在していたのではないかという仮定です。
搾取する側のハムドらが属する支配階級とアベリアが属していた被支配階級が存在し
たというのはいかがでしょうか?
これで有れば、同じ国にありながら違う個性(方向性)が形成されていったのも破綻
なく説明できそうですし、如何でしょう?
そして、アベリアの優秀さに目を付けたハムドに引き抜かれて被支配者階級から抜け
出せたアベリアは、そのことに恩義を感じて付き従っているってのは。

>旧ヘリウッド国においては確かにその可能性もあるんですが。
>殺された兵士のプロフィールなんか放送じゃ詳しくやんないだろうし。
>アベリアの回想みたいな感じで旧ヘリウッド国の様子見たいなぁ。

この辺の描写ってことごとく排除されているんですよね。
確かに、物語の進行(シュウとサラを軸とした)には不必要なんですが、この辺は是
非アベリアの回想(モノローグの紙芝居的に)なんかで描いてほしいものです。
でも、時間がなさ過ぎるよな〜(T_T)。

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(No.878) スペード&ハート 題名:確かに背景描写少ない。 投稿日 : 1999年11月27日<土>14時13分
to 久城様

  >ヘリウッド国では階級社会が存在していたのではないかという仮定です。
なるほど。その後の推測にも納得ですね。

仮に階級社会が背景にあったとすると、宗教なんかはどうなって
いたんでしょうね?(が、深い議論はBBSでは見たくないかも)
階級社会が存在するには宗教的な束縛が無ければダメなんじゃ??
そういうこと含めて背景描写もっと欲しいですね。
というか、何でもアリの世界観(アニメ)と現実の世界観が
混ざり合って、不釣り合いが目立つというか。。。

>私としては芸人を2〜3人つれてってララ・ルゥを笑わせてみたいですね。
  それなら、某軍人をつれてシュウにこう言わせたいですね。
  「修正してやる!!!」(笑?) 

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[ ログNo.869〜No.878 ]

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