今、そこにいる僕
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[ ログNo.719〜No.728 ]

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(No.719) 天野 題名:論点の履き違え 投稿日 : 1999年11月23日<火>01時35分
>Tomokiさん
> 確かに理論的(哲学的)にはサラの行為は殺人以外のなにものでも
>ないと思います。しかしそれはあくまで哲学的な意味での話です。

私は論理的な話をしているのですよ。世の議論で論理的な話が例外視されるとしたら驚くべき事です。
私は感情的にはサラの立場を擁護する。しかし、この度の議論ではそういう話をしているのではない。論点を履き違えているとしか言えないですね。繰り返しになりますが、私はここでは論理的な話をしており、そうした話の中では感情的な立場は極力排して来ました。それは、人の生き死にが関わる事例で一般的な感情論にのみ傾いては危険だからです。

> 確かに殺された兵士にはああする以外に選択肢はなかったと思いま
>す。しかしどんな社会においてもレイプは犯罪です。

それを言うなら殺人も犯罪です。

>その上で虐げていた慰安婦に殺されたからといって彼を哀れむならまだしも、
>だれが彼を殺した慰安婦を責めるでしょうか。

誤解無きよう、敢えて私の感情的な意見を言うと、私は、生存の為に命令に従わざるを得ず、結局死ぬ事になった兵士を哀れみ、心身の安全と自由の為に兵士を殺す事になったサラを哀れんでいる。しかしその話はもっと感情的な材を扱った議論においてです。

>確かにサラが命令に従わざるをえない哀れな兵士を殺したのは「事実」です。しかし「ヘリウッドという国家権力の犬」として自己と他者の尊厳を侵し、サラを犯そうとした人間を、一人の人間としての尊厳を護る為にサラという人間が自身が殺人おかしてでも助けようとした「真実」があると考えればサラの行為は十分納得が行くのではないでしょうか。

サラは自分を救う為に兵士を殺した。この時点で彼女は他者の尊厳を犯し、一人の人間をこの世から永遠に消したのですよ。あなたの言い方に従えば、「兵士は、一人の人間としての生存を護る為に、彼自身が殺人を犯してでも自分を助けようとした」真実がある訳です。これとサラの事例を論理的に客観的に比べて下さい。

> あの場合、「自ら尊厳を投げ打った者」と「尊厳を護るために闘うもの」のどちらか一方しか生き残れないとすれば答えは自ずと明らかでしょう。

あなたが言う兵士の「尊厳を投げ打つ行為」とは、人を殺し、少女を孕ませようとした事で、サラの「尊厳を護る行為」とは、兵士を殺す事でした。

感情的にどちらを擁護するかと言えば、大体の人がサラでしょう。私もそうです。しかし、私が両者が「同類」だと言っているのは倫理的、論理的な論点においてです。それは先の文章を読めば判りそうなものですが。

http://ww3.tiki.ne.jp/~sioworks/amano/index.html
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(No.720) 今俺 題名:精一杯生きて欲しい 投稿日 : 1999年11月23日<火>01時39分
久しぶりカキコします。

正当性とかの話ですが、価値判断の基準は人や環境によって異なることをまず踏まえてはいかがでしょうか。私たち視聴者は「人を殺すのは罪です」「同意を得ない性行為を強制するのは罪です」といった、だいたい共通の判断基準を持っています。その基準に照らせば、兵士の行為もサラの行為も犯罪だと言わざるを得ないかもしれません。

でも、兵士にとってその行為は正しいと判断されるのが当然の世界に居ますし、サラは自分にとって最善だと思われる行動を起こしたのだと思います。もともと、シュウもサラも私たちと同じ価値判断を持っていたのですが、シュウはがんばって維持している、というかがんばりすぎ。でもサラは、悲しいことに、自分が自我を持って生きるのに最善と思われる道を選ぶため、自分の価値観をヘリウッドの世界に合わせざる(落としめざる)を得なかった、ということだと思います。そういう意味で、天野さんの「同類」という言葉は当てはまると思います。

同じ人殺しでも、戦争に勝った国の兵士は英雄で、負けた国の兵士は犯罪者です。でも第三者から見れば…、というわけで、久城さんの意見とだいたい同じ所に落ち着くわけです。

私たちの住む世界の法律にすればサラは犯罪者かもしれません。でも、地吹雪さんなどのお気持ちを汲み取れば、情状酌量の余地あり、ということで、彼女に与えられる「罰」は限りなく軽いものであることを願うのが、全国サラFANの思うところだと思います。
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(No.721) 久城 題名:(?。?) 投稿日 : 1999年11月23日<火>01時55分
地吹雪マスターさん、ご機嫌いかが

>久城氏も男性優越主義な考えですね。

えっ?私は常々女性とは同等のつもりでしたが…。
他人から見てそう感じるので有れば気をつけなくてはいけませんね。

>女性が自分の意思に反して犯されてしまう、このことが
>いかに人間としての尊厳を踏みにじる行為だということか
>情けないです。

問題なのは人間の尊厳を踏みにじる行為であり、男性であるとか、女性であるとかは
関係のないことのように思うのですが如何でしょうか?

女性がいつも犯されるだけの弱い存在であるとお考えならば、そのことこそが男性優
越主義とやらになるのではないでしょうか?
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(No.722) MINE 題名:あらー(^_^; 投稿日 : 1999年11月23日<火>03時02分
おいらも、 犯罪の価値でなくって、倫理観な話しだと思います。ややや、「倫理だって国が違えば、いや人それぞれでちがうやん!」つーのもあるでしょうが、とりあえずは 倫理観、制作側が描こうとしている倫理観で描いているので、周囲がその倫理観にそぐわない考えだからといってガーガーいえな・・・ あら・・・  うーん、まそれもあるのかなー。

 でも さすがに「犯罪の価値」を考慮するともはやどんなアニメだって素直に観れなくなりますよう。 あの忠臣蔵だって(^_^;。

 おいらは 以前、レイプ談義(いやな表現だなあ)で熱くなった時は、倫理観で書いたので犯罪の価値では書いてません。  じゃあ もしサラの行為はとなると、そうなればその描かれている世界で決定づけるしかないですよねえ(^_^; 彼女に繰り返された行為は正統、彼女が犯した罪は大罪により死、いや 死じゃないでしょう貴重な道具なのですから えっと あ、これ以上は書きません(^_^;(いやなテキストになりそうだから)

 というわけで「犯罪の価値」でなく倫理観かと思いますげ〜(^^)/~~
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(No.723) エンジェル・ハイロゥ 題名:クロノ・クロスは面白い 投稿日 : 1999年11月23日<火>03時16分
スクエアゲームってストーリーかシステムにできい欠点がある絵だけゲーだと思って
ましたけど・・・。済みません、間違ってました。

閑話休題

フムフム、天野さんは組のノルマを達成させなければならないヤクザの強請タカリそ
の他諸々への抵抗はヤクザと同じと納得できるという事ですね? φ(..)メモメモ

〉、「罪が無くなる」とかいう話を私も、おそらく久城さんもしていない事です。サ
〉ラも兵士も、他人の権利を剥奪した事に関する罪が無くなるという事は「無い」と
〉言っているんです。
〉より正確には、「良い」も「悪い」も、「正当」も「不当」も、「罪がある」も
〉「無い」も無く、その為した事(自分の生命や安全の為に、他者の生命や安全を剥
〉奪する行動)によって両者は同類だと言っているんです。これは先の文章をよく読
〉めばお判りでしょうが。

それならばそう読めるように書くべきでしたね。サラに関しては久城氏も貴方も「部
外者の理論」とか「犯罪者」というネガティブな印象の言葉を使う一方で、兵士に対
しては「国策だったから」といった具合に妙に同情的と言うか寛容(?)な言葉を使
っています。
これではサラ×、兵士○と言っているに等しい。(だから私を含めて複数の方が反発
している)
自分の文章がそういう印象を与えると知った上で上記引用部分のような発言をしたの
なら論外だし、気づいていなかったのなら今知るべきです。

PS 理不尽な世界と言うものに囚われすぎているように思えます。
  でも久城さんは反対はだっけ? 宗旨替えしたのかな?

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(No.724) MINE 題名:あらあ(゜o゜) 投稿日 : 1999年11月23日<火>03時16分
>剥離

もとネタとなった書き込みなんか ないですねえ 消されたんですかねえ(^_^;  
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(No.725) MINE 題名:あ、 投稿日 : 1999年11月23日<火>03時22分
先の書き込みで「世界」と書きましたが、ハムドの世界(世界の中の世界)ではってことです。 あ・・ ハムドの国の憲章か。

 
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
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(No.726) Tomoki 題名:十分論理的だと思いますが1? 投稿日 : 1999年11月23日<火>03時26分
 大分「僕」に対して感情的になっておられるのかもしれませんが
冷静に話し合いましょうね。

Amano> 私は感情的にはサラの立場を擁護する。しかし、この度の議論ではそういう話をしているのではない。論点を履き違え
Amano> ているとしか言えないですね。繰り返しになりますが、私はここでは論理的な話をしており、そうした話の中では感情
Amano> 的な立場は極力排して来ました。それは、人の生き死にが関わる事例で一般的な感情論にのみ傾いては危険だからで
Amano> す。

 天野さんがおっしゃる「論理的」というものはいったいどういう基準に
基づいておっしゃっているのでしょうか。殺された兵士にも言い分があっ
たでしょう。しかし言い分がある事とそれを尊重しなければならないこと
とは同義ではありません。殺人犯にもやくざにも、女子供を虐殺する軍隊
にも彼らなりの正義があります。しかしそれを尊重することの一体何処が
「論理的」なのでしょうか。そういう正義を尊重することは誰のためにも
なりません。つまり彼の言い分は存在するが世間に認められてはいけない
ものなのです。

Amano> > 確かに殺された兵士にはああする以外に選択肢はなかったと思いま
Amano> >す。しかしどんな社会においてもレイプは犯罪です。
Amano>
Amano> それを言うなら殺人も犯罪です。
 
 一見正論の様に見えますがそれは間違いです。
 世の中には緊急避難というものがあります。彼女の行為はこれに十分
あてはまるということは理解してもらえるでしょうか?もちろん論理的
にも彼女の行動は正しいのです。本来自分の権利が不当に侵された場合
我々はそれを命懸けで正す権利があります。しかし日常生活でそれを行
わなくてもよいのは建前上この世界では話せばわかるという大前提が存
在することになっているからです。その前提が通用しない場所において
原始的手段で目的を達成することは嘆かわしい事ですが非難されるべき
ではありません。
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(No.727) Tomoki 題名:十分論理的だと思いますが2? 投稿日 : 1999年11月23日<火>03時30分
Amano> >その上で虐げていた慰安婦に殺されたからといって彼を哀れむならまだしも、
Amano> >だれが彼を殺した慰安婦を責めるでしょうか。
Amano>
Amano> 誤解無きよう、敢えて私の感情的な意見を言うと、私は、生存の為に命令に従わざるを得ず、結局死ぬ事になった兵士
Amano> を哀れみ、心身の安全と自由の為に兵士を殺す事になったサラを哀れんでいる。しかしその話はもっと感情的な材を扱
Amano> った議論においてです。

 つまり、双方とも被害者であるという事ですね。確かにそうです。
 論理的にはそうですが、ここで一つ考えてみて下さい。あの兵士は
別に必ずしもサラを犯す必要は無かったのではないでしょうか。
 見張りがついている訳でもないようですし(ついていれば騒動が起
こった時すぐに駆けつけたでしょう)二人目の兵士がした様に話をす
るだけでも良かったはずです。それでも犯そうとしたのは結局彼自身
の意思なのです。もちろん彼には「そんなことは出来ない」と命令を
突っぱねて処刑されるという自由も残っています。非現実的ですが「論理的」
にはそういう手段は存在しますし僕はそれを立派なことだと思います。
 ただ僕を含めそこまで思い切った事を出来る人間はそうそういません。
 だから現実的に実現可能そうな「一緒に部屋に入るが何もしない」
という手段を取るべきだったのです。
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(No.728) Tomoki 題名:十分論理的だと思いますが3? 投稿日 : 1999年11月23日<火>03時31分
Amano> >確かにサラが命令に従わざるをえない哀れな兵士を殺したのは「事実」です。しかし「ヘリウッドという国家権力の
Amano> 犬」として自己と他者の尊厳を侵し、サラを犯そうとした人間を、一人の人間としての尊厳を護る為にサラという人間
Amano> が自身が殺人おかしてでも助けようとした「真実」があると考えればサラの行為は十分納得が行くのではないでしょう
Amano> か。
Amano>
Amano> サラは自分を救う為に兵士を殺した。この時点で彼女は他者の尊厳を犯し、一人の人間をこの世から永遠に消したので
Amano> すよ。あなたの言い方に従えば、「兵士は、一人の人間としての生存を護る為に、彼自身が殺人を犯してでも自分を助
Amano> けようとした」真実がある訳です。これとサラの事例を論理的に客観的に比べて下さい。

 うまい突っ込みですね。つまり彼の行動もまた自分自身を護る
ための緊急避難だったと。これはいわゆる「詭弁」では無いでしょうか。
 なぜなら先に尊厳を侵そうとしたのは彼のほうだからです。
 他人の尊厳を尊重できない人間の尊厳がそうでない人間のそれと
同等に扱われるはずはありません。サラを犯そうとしたのなら
彼も犯されても文句は言えないのです。実際、彼は殺されました。
 「気絶させるだけで良かったじゃないか」と思うかもしれません。
 僕もそう思います。しかしサラにはそんな高度な力量は無かったのです。
 この場合圧倒的に弱者であるサラが確実に逃れるためには少なくとも
「動かなく」なるぐらいまではダメージをあたえておく必要があったで
しょうし、それで彼が死んだとしても誰も彼女を責められないでしょう。
 確かに殺人は罪です。あくまでそれは哲学的な思考の枠内での話であ
って、より大きな罪を、人間の尊厳を踏みにじる様な犯罪を止めるため
にあえて血を流すこと、場合によっては殺してしまうことも実践の場
では往々にして有り得ることはユーゴ空爆を見ても明らかでしょう。 
 もし天野さんが純粋に哲学的な意味でサラが堕ちたとおっしゃるのなら
確かにそのとおりです。そうであるのならば単に僕が御介していただけの
事です。許して下さい。
 
Amano> > あの場合、「自ら尊厳を投げ打った者」と「尊厳を護るために闘うもの」のどちらか一方しか生き残れないとすれ
Amano> ば答えは自ずと明らかでしょう。
Amano>
Amano> あなたが言う兵士の「尊厳を投げ打つ行為」とは、人を殺し、少女を孕ませようとした事で、サラの「尊厳を護る行
Amano> 為」とは、兵士を殺す事でした。

 そうです。

Amano> 感情的にどちらを擁護するかと言えば、大体の人がサラでしょう。私もそうです。しかし、私が両者が「同類」だと言
Amano> っているのは倫理的、論理的な論点においてです。それは先の文章を読めば判りそうなものですが。

 サラが正しいというのは感情の問題ではなく実践論理の問題
です。世の中に理由もなく人を傷つけたり殺したりする人間は
いません。それぞれ本人達にとってはやむにやまれぬ事情があ
るのです。しかし我々はその全てを容認するわけにはいかない
のです。結果的にどちらか、あるいはどれかの正当性を認める
事が必要になりますし、場合によっては罰することもある訳です。
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[ ログNo.719〜No.728 ]

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