今、そこにいる僕
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(No.1521) パチもん 題名:カザム格好えぇ!!!!!!! 投稿日 : 2000年1月23日<日>17時15分
あういう、さりげない格好良さが、俺は一番好きです。
最終回の感想を書くと、ここのBBSを1ページ使いそうなので
遠慮させていただきます。っつうか、言葉では書き表せないです。
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic/3309/
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(No.1522) しゅう 題名:Re:極論ばっかりだったから・・・・ 投稿日 : 2000年1月23日<日>17時17分
作品中の登場人物に意志などない、と書かれていましたが、登場人物に意思を感じながら作品を見ることはないのですか。
少なくとも、小説にしてもドラマにしても、多くの人は、その話の中で登場人物に共感したり、反感を覚えたりすると思います。
作者の意図を考えてみることも重要ですが、普通はその前に作品の中で感動したり、納得したり、いろいろ考えるものだと思うし、そこで終わってしまっていてもそれはそれでいいと思います。
僕や、僕の周りの人々が特殊でないのならば。
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(No.1523) Tomoki 題名:いえ、あります。 投稿日 : 2000年1月23日<日>17時40分
しゅう> 作品中の登場人物に意志などない、と書かれていましたが、登場人物に意思を感じながら作品を見ることはないので
しゅう> すか。

 いえ、あります。しかし真面目に分析する際にはそういう感情的要素を排して
作者の意図を推測してそれを理解して論評しないと分析とは言えないのです。
 だからここで分析結果を述べる時は敢えてキャラクターに感情移入しないで分
析しているつもりです。

しゅう> 作者の意図を考えてみることも重要ですが、普通はその前に作品の中で感動したり、納得したり、いろいろ考えるも
しゅう> のだと思うし、そこで終わってしまっていてもそれはそれでいいと思います。
しゅう> 僕や、僕の周りの人々が特殊でないのならば。

 そうです。普通に見て楽しむだけならそれでも良いと思います。ただ
結局僕はこのアニメに結構期待していたので細部に渡るまで完璧な作品
になる事を望んだために自ずと分析も細かくなるし要求するものも高く
なってしまったのです。
 例えば自分の好きなコンピューターなり車なりが手に入ったときもち
ろんそれを使いこなして楽しむ事もするでしょうが同時に「中身はどう
なってるんだろうか?」とか「どうしてこんな形してるんだろうか?」
と疑問を持って分解してみたくなるのと同じです。例えその結果それが
壊れたり意外とつまらないものであると理解してしまうしても。
 興味を持って分析するとはそういう事だと思うのです。
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(No.1524) 佐藤@komaba 題名:もし身近な人が性犯罪にあったら?作品内に入り込んだ私なら? 投稿日 : 2000年1月23日<日>20時44分
 エリさんへ、フォローありがとうございます。
 私はまだ、最終話までみていないので、サラの最後の決断など、についてはさすがにコメントできず歯がゆい思いを抱いています。もっとも12話まではつてを頼ってやっとこさ、閲覧することができ、色々と思うことも増えてきました。まず、個人的に驚きなのは最初と違いかなり作品内に入り込めてきたということでしょうか。
 作品内に入り込むと、やはりもし自分がその場にいたら、という選択に常につきまとわれます。また、この作品については、作品の中にいるときと外にでてから評価するときのギャップが激しくて、しんどい思いもしないではいられません。
 まぁその点はともかくとして、サラについてですが、彼女に限らず、もし身近な人が性犯罪に会ったらどうするか?やはり男性としの私なら、対応に困るでしょう。映画「ザ・レイプ」「ザ・レイプハンター」という映画では、性犯罪にあった女性が恋人に腫れ物を扱うように対応されて、結局別れてしまうというシーンがありました。もし、私の身近なひとがそのような目にあったら、やはり同じく腫れ物にさわるような対応しかできないでしょう。いったいどういう言葉をかければいいというのでしょう?女性はその時どんな対応を求めているのでしょう?まったく困惑してしまうだけかもしれません。作品の中にいる私としては、11話で、サラが 入水しようとしても、果たして止めることができるかどうか ・・・正直な所、自信がありません。こういうときは、シュウのようになにも考えずにひたすら「生きていればいいことがある」と主張し、自身が身をはって行動に出られるのを羨ましく思います。
 ・・たとえそれが男の都合のいいロマンといわれようとも・・

 
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(No.1525) エリ 題名:追記:書きたいことは色々あるけど・・・ 投稿日 : 2000年1月23日<日>20時52分
みなさんは吉田秋生さんの「櫻の園」という漫画をご存知でしょうか?女子高を舞台に、思春期の多感な少女の心情をリアルに淡々と描いた物語なんですが、サラの事を考えてるとこの話を思い出してしまいました。物語のなかで、生理を男子にからかわれた時の事を思い出しながら、「彼がこれからどんなりっぱな人間になろうとあたしにとってはあの時のまま ナプキンふりまわしてたあの姿のままよ」「子供のときのことだっていう言い分も聞いてやらないの」「生涯うらんでやるわ あの時のことは決して忘れない」「だから あたし 一生許さないの」というセリフを言うシーンがあって、それをもう淡々と描いていて、サラの気持ちってこんな気持ちに激しい怒りや絶望、嫌悪感をないまぜにしたような、そんな気持ちだと思うんです。きっと狂気の沙汰に違いないと思うんですが、ハムドの狂気とはきっと違うんじゃないかな、彼は自分がほかの人間によって脅かされることを恐れ、殺戮を繰り返しながらもどこか救いを求めていた様にみえる。でも彼女はきっと救いなんてどこにもないことを知ってると思う。「今、そこのいる僕」では「今、そこにある現実」を認識させ、生きる事を再認識させるようなところがありますが、(私がこれを見たのも「今、そこにいる僕」という響きに地に足のついた他にはない重さを感じたから)わたしが再認識したのは女性という立場の辛さだけ。最初はサラがああなる事だって予想だにしなかったし、3話のおかげでみなさんが言うようにすっかり偏って見るようになってしまった。それぐらいショック受けました。この作品が現実を再認識させるものならば、私にとっての現実が私の解釈にでているのかもしれません。しかしシュウを見ていると最後まで生きていればいやな事を上まわる良いことがあるという考えを捨てていないようで、これだけの犠牲がでておきながら、結局シュウだけは自分の価値観をゆるがすようなことはないというのは、製作している側が少年の無邪気さを最後の希望ととらえ、壊したくないと思っているように見えてしまうんです。でもシュウまで希望を失ってしまうと話として辛いかも。でもシュウの考え方がどう変わったかは描いてほしかった。なんか消化不良おこしたみたいで納得いかない。こんだけ重い話にするならもうちょっとまとめて欲しい。でも自分が書いてる事もあんましまとまってない・
・・(T_T)次は女性蔑視として私がこの物語を見ていることについてかきます。その事について書いてある意見も結構あるので。
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(No.1526) 佐藤@komaba 題名:女性は怖い、が、女性は偉大だ 投稿日 : 2000年1月23日<日>21時15分
ちょいと雑談的なものです・・
 エリさんの文章の中でもふれられていることですが、
生理について男子にからかわれるシーンは私はアニメの
中では「おもいでポロポロ」と「水色時代」の中でみた
きりです。男女を問わず思春期の生理的な現象については
以前も述べたことがある通り、他者はどう感じるのか??
という興味からもアニメで描いて欲しいとかんじていました。が
なるほど「おもいで・・」で女性徒を「生理がうつる」といって
からかう男子は確かにアホに見えましたね。でも、同時にそれを
わらってやり過ごす女性徒をみると「女性にはかなわん」と感じた
のも確かです。
 所で、私は調査のために埼玉の奥地にいっているのですが、その場所
にいる60−70歳前後のおばあさんたちと仲良くなりしょっちゅう井戸
端会議におよばれしているのですが、その中でおちよさんというおばあさん
が40年くらい前に怪我をしたのに「仕事しろ」とどなりつけた、演習林
の上司を「あの恨みは今でも忘れない。絶対許さない」と随分むかしの
ことなのに、その事に触れたとたんにものすごい形相になって言っていた
のを聞いて「女性は怖い」いや「人間は怖い」と震え上がったものです。
 他にも乱暴した男をみんなでよってたかって崖から突き落とした・・
いや、これはやめましょう。昔のはなしだし・・。
 まぁ・・やっぱり人間ってそんなに簡単に自身を侮辱した相手を
許せないんだろうか?などと感じたわけですね・・。

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(No.1527) toshi-yk 題名:フォロー1 投稿日 : 2000年1月23日<日>21時22分
>Tomokiさん、気田岳史さん

 僕が感情移入を勧め、そうした感想を提示したことに批判的なようですが、むろん強制する気はありません。ただ、僕があなた方の意見を極論、曲解と強い言葉を使って指摘している部分について考えてもらいたいのです。繰り返しになりますが、製作者は選択肢まで含めて描いているんだから、こっちもそれに見あった公平な対応として、プロパガンダとは区別をしませんか、というのが僕の指摘です。製作者が出産への決断を描いたのは確かだし、それに違和感を覚え、あるいは反対するのはもちろんそれぞれの自由ですが、それを単にプロパガンダだという批判は、製作者による選択肢の描写を無視することですから作品理解として公平さを欠き、よって批判の内容からしても乱暴で実りが少ないものと思います。特にTomokiさんのように御自分の意見を「分析」と位置づけるなら、なおさらこの差異を抹消することは許されないでしょう。逆にいえば、プロパガンダだという断言に頼らず、サラの描写の理由付け不足をもっと詳細な形で指摘・批判することが出来るでしょうし(エリさんが今回なさっていますね)、求められます。それが公平な分析・批判というものでしょう。付け加えれば、僕はこれだけこだわるほど、「押しつけ、プロパガンダ」といった批判は気をつけて使うべきものだと考えているのです。

 そのうえで、僕なりに気田さんが意見を求めた部分の分析をしてみます。前回の書き込みが期待に全く応えていないようなので。
 
 カザムについては、天野さんと僕が以前指摘しましたが、彼が一方でサラに可能なかぎり優しく対処し、他方でヘリウッドの先兵として冷徹に仕事を勧める様を描き、それを通じて状況において善にも悪にもなる人間の二面性を描いている。子供を助けた描写は、彼の善良な部分を駄目押しで描写したのでしょうが、それで彼の悪行を全て免罪する意図もなかったと思います。

 次にサラの出産への決断の理由付けですが、これは前のレスに少し書きましたが、シスのいまわの際の言葉と、ヘリウッドの兵隊予備も含めて子供たちを誘導し守りながら逃げる経験。加えて、NASTYさんが指摘されてるようにカザムが命と引き換えに子供を助けたこともあるでしょう。これらの経験をサラにさせることで、その理由を描いているのだと思います。また、サラに小さい命を守ろうという気持ちが芽生えていることを描くために、またサラが最後にシュウに微笑みかけるシーンに繋げるために、彼女が不安がる子供たちに、シュウのように根拠薄弱な「大丈夫」という言葉をあえてかけて励ます経験を与えているのでしょう。
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(No.1528) toshi-yk 題名:フォロー2 投稿日 : 2000年1月23日<日>21時23分
 続きです。 
 
 なぜサラがアベリアを許したか。これはやはり、「復讐の連鎖」を絶ち切ろうというメッセージでしょうね。シュウにも「いつまで続けるんだ人殺し」というセリフを言わせていますが、この「復讐の連鎖」をどこで絶ち切るかというのは、戦争を批判的に扱ううえで重要なテーマでしょう。その一つの表現だろうと思います。

 この僕の分析を強要するつもりはないし、繰り返しになりますが「今僕」に対する批判を禁じるつもりもありません。Tomokiさんが今僕に対して抱いた期待とそこから来る批判への熱意は非常によく分かりますし。ただ、批判するにしても、節度と公平を求めたいのです。そこからの批判と御理解いただければ幸いです。

>エリさん

 今回の書き込みもやはり反省多いものとなり、あなたにも過度の不快を与えていないか心配ですが、自分の指摘は一定の理を持つものだとも思っています。反省と、忙しくなることもあって書き込みを少し控えようと思いますが、異論があれば責任を持って答えたいと思います。今回の書き込みを見るに御自分の考えを丁寧に展開されているので、僕としては蒸し返すつもりはないですが。
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(No.1529) にっし〜 題名:あのメッセージは・・・? 投稿日 : 2000年1月23日<日>22時13分
 こんなにももろく こんなにもはかない 百億年の年月
 だから・・・・・・ 哀しいほどに 愛しい

「今僕」冒頭部に必ず入っていたこのメッセージ。
毎回毎回あるな〜と思ってたのですが、結局のところこのメッセージが意味することは何だったのでしょうか?
「もろく」「はかない」、これは百億年の年月に生きる人間たちのことを
言ってるのだと私は解釈したのですが・・・
みなさんの考えを教えてもらえるとありがたいです。
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(No.1530) toshi-yk 題名:フォロー3 投稿日 : 2000年1月23日<日>22時23分
 カザムについての追記。彼の助けた子供はヘリウッドの子供ですね。ヘリウッドの
兵士がヘリウッドの子供を助ける描写を描くことで、ヘリウッドの命も受け継がれていくことを表現してもいるのかも。これはこの子もいずれどこぞから攫われてきた子である可能性が強い(略奪の回(六話)で出てきた子の中の一人かも、確かめてませんが)から、説得力割引ですが。

>エリさん、佐藤さん

 はるか昔になった中・高時代を顧みて、一部の男子学生が、運動会の練習など女子と体育を共にする、あるいは女子の体育を見る機会に、見学している女子学生に向けるミョーな猜疑と興奮と視線を思いだしてしまいました。数人で固まってぼそぼそぼそぼそ。女性性というのは確かに男性にとっては謎なんですね。だから「今僕」のサラの描写に対して、そしてエリさんが指摘されたように様々な意味でサラと対照的なシュウの描写に対して女性が受ける強い感情が、どうしても理解しきれないところはあります。実際に性犯罪に遭った女性への対応などなおさら。シュウの「死ぬな!」については、僕も身勝手なセリフだなと思いつつ、羨ましいと思ってしまいます。堕胎についてはさすがに「産まれてくる子供」とサラの幸せが相反する可能性を少しも考慮にいれていないようなシュウの言動にはナブカと同じ「純粋な子供の勝手さ」をさらに強く見ずにいられませんし、最終的には本人の判断だとも思います。シュウのあの言葉がサラに決断させてしまえばさすがにどうかと思いますが、あの時点では保留だったし。
 ついでに、僕が最近読んだ強姦に係わる作品に以前もここに書いた京極堂シリーズ「百器徒然袋」所収の「鳴釜」(この作品でも被害者が妊娠し、出産を選びます)と、こちらはあくまで推測の域を出ませんが「電波オデッセイ」(永野のりこ)がありますが、前者は被害者の女性の内面を一切描写しない手法を、後者は被害者が体験を最後までまともに思い出せない(周囲の噂と断片的な記憶の表現から推測できるだけ)手法をとっていました。優劣をそこから直接引き出すことは出来ませんしする気もないですが、「今僕」と対照的ではあるとおもいます。
 シュウの変化ですが、確かに見えにくいですね。僕は何回か書きましたが彼がサラからもララ・ルゥからも自分の言葉の軽さを思い知らされて、自覚して、それでもあえて言うってとこに、言葉そのものは変わってなくても成長を感じるんですが、やっぱりひいき目かなとも思います。
 恨みの残存・・・僕は格別辛い目に合ったことはないので、ふとしたときに過去の恥がフラッシュバックしたときのきつさから類推するほか無いですが、それにしても佐藤さん、重い話ですね。
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[ ログNo.1521〜No.1530 ]

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