今、そこにいる僕
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[ ログNo.1501〜No.1510 ]

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(No.1501) MINE 題名::書き損じにつき追記 投稿日 : 2000年1月23日<日>01時40分

>はたして、彼女自身、

 はたして、彼女自身 そう思っての行動なのか?、自分も危険かもしれない、 やはり あれすらも 死ぬ手段のひとつだったのかもしれません。

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(No.1502) MINE 題名:ああ また 文足らず(T_T) 投稿日 : 2000年1月23日<日>01時50分
はたして、彼女自身、

 はたして、彼女自身 そう思っての行動なのか?、自分も危険かもしれないと頭によぎったかもしれない、 やはり あれすらも 死ぬ手段のひとつだったのかもしれません。 

http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
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(No.1503) エンジェル・ハイロゥ 題名:夢か・・・。 投稿日 : 2000年1月23日<日>01時50分
どっかの小説でこげなセリフがありました。
「夢っていつから将来の職業の同義語になったの?」
異世界でも夢は叶えられる事もある。異世界で見られる夢もある。
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(No.1504) toshi-yk 題名:自分のために、ここに書いたんだ・・・2(偽相葉昴治) 投稿日 : 2000年1月23日<日>01時54分
>気田岳史さんへ、続きです。

>余計なことなら書かなきゃいい

 潔さがたりませんでしたね。取り消します。僕が自分の意志で行った、強制はしませんが理解していただきたい内容の書き込みでした。また強い批判を含む内容ですが、より論旨を明晰にしようという狙いあってのことです。賛成しないまでも御理解いただければ幸いです。

>MINEさん

 文体うんぬん、とんでもありません。少なくともヘタレな題名は反省材料です。でも弁護ありがとうございます。今回の書き込みはきつめな部分を含んでいますが、御容赦下さい。

>コナンさん

 僕はタブールを理解したく、いくつか書き込みましたが、まだまだ修行が足りませんか。

>エンジェル・ハイロウさん

 弁護ありがとうございます。僕のためじゃないかもですが。パロディうんぬんの時声高に書き過ぎたの反省してます。サラが犯されたからうんぬんについての反論には同感です。

>わかめさん

 がんがん書き込みお願いします。
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(No.1505) 気田岳史 題名:相対化 投稿日 : 2000年1月23日<日>01時57分
 ヘリウッドの論理を体現したカザムの描写がひっかかるんですよね。相対化して
るとしたらなんでああいう描写を足したんでしょうか?

 サラの心変わりの説得力は? サラはなんでアベリアを許したの?

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(No.1506) 未来にも程がある少年コナン 題名:他の人は、無視してね。 投稿日 : 2000年1月23日<日>02時09分
エンジェル・ハイロゥさんへ。
私の書き込みに、レスしなくて結構。
かなり、不快です。
私は、既に半分遊びモードに入っているので、愉しみに来ているのです。
これにも、レス付けなくて結構。
私も、あなたの文は無視するので。
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(No.1507) toshi-yk 題名:相対的主観 投稿日 : 2000年1月23日<日>02時37分
>気田岳史さん

 先にも書いたように僕は基本的には「製作者の倫理的偏向=罰によって登場人物の末路が決まっている」という見方をとらないので、主観的なものになりますがそれでもよければ。

>ヘリウッドの論理を体現したカザムの描写がひっかかるんですよね。相対化してるとしたらなんでああいう描写を足したんでしょうか?

 何というか、子供が溺れ、それを助けたが自分は流された、それだけのこと、じゃ駄目ですか?受け手はそれぞれ感動するなり何じゃそりゃあ自分が死んでいいんかいと思うなり。ただ、僕はあれで例えば彼のこれまでの行動が帳消しとは思わず、でもあの行動は尊重したく、ともあれカザムに対する僕の感情は複雑です。だからといって、製作者の意図を「救われる人/救われない人」の区分けのために持ち込んで、「あの描写が足されたからカザムは免罪された」と捉えるのは、それに対する是非以前に避けたいのです。複雑な人はそれぞれの部分にわけて評価を。なんか解剖めいてやなやり方ですが。製作者も必ずしもカザムの全てを免罪しようというデジタルな意図であの描写をいれたのではないと考えています。というか考えたいです。あの描写は甘いといえば甘いのでしょうけど、それをあまり責めたくないのです。僕は「今僕」への批判はもう少し別の角度からしたいと思っていますが(普通の批判はもう今までにやり尽してしまった感が・・・)、現状ではまとまらないこともあって、作品が提示するものを味わっています。

>サラの心変わりの説得力は? サラはなんでアベリアを許したの?

 これらの描写も、納得は出来てもどうして納得できるか説明するのは難しいですね。うう、サラについては、やっぱりシスの死と、あとは子供たちをかばっての逃避行ですかね。出産には直接関係ないかもですが、あのときのサラの「大丈夫」にかなり感銘を受けたので。あれで、「守ろう、産もう」となったのかなあ、と。アベリアは・・・僕としては、とりあえず殺すのは止めようって程度では、と理解しています。個人的には、罰は(これは作品内部の人間の意思決定による、ようは司法による罰です)はっきり下すべきではと思うことから、先にも書いたようにこれから彼女には一定の刑罰が待っているのかもなあなどと考えています。刑を全うして、まっとうに生きてくれアベリアってとこです。

 なんかいい加減に見えますが、これが現状での僕の理解です。それでは。
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(No.1508) Tomoki 題名:極論ばっかりだったから・・・・ 投稿日 : 2000年1月23日<日>03時47分
 極論を何回も書いてるTomokiです。確かにちょっと言い過ぎたかもしれませんね。
 「失敗は成功の母」と言いますし、今回の「今、そこにいる僕」でよかった点は次作
に引き継げばいいしまずいと思った点は直せばいいんですからね。あまり文句ばっかり
言ってると今度は大地丙太郎初めスタッフの方々がファンに向かって罵詈雑言を浴びせ
かけて挙げ句「アニメファンはくずだ!」と確信し、某庵野秀明監督の如く嫌がらせで
作ったとしか考えられないようなアニメを連発してしまうかもしれませんし。
 もしこれを読んでいたらごめんなさいねスタッフの方々。皆さんの努力と誠意はこの
作品からひしひしと感じさせていただきました。ただ扱っているテーマが重いだけに
ちょっとした矛盾点や芝居臭さであってもそのまま見過ごしたくなかったのです。
 このアニメの企画意図自体は素晴らしいと思いますし、結果も当然水準を越えている
と思います。だから見る側も普通のアニメの基準で見ずについみんな本気で作品につい
て考え込んでより高い水準を求めるのです。
 だからこの後の書き込みも文句ばかり言っているように見えますがより良い次回作を
作って欲しいと思ってのことなのです。

toshi-yk > それでも納得いかないところがあるというのならともかく、ただ「中絶反対のプロパ
toshi-yk > ガンダ」と非難するのは、明らかに曲解だと思います。

 しかしこの場合結果として彼女は「産む」訳ですからプロパガンダとそしられても
仕方ありません。それに中絶反対の立場でこのシーンを作ったなら中絶容認派からの
批判は当然のものです。スタッフはむしろそれを誇るべきでしょう。逆におろせばお
ろしたで当然もっと物議を醸すでしょう。結局どっちを選択しても物議を醸す事にな
るのです。これに関しては産む産まないは元の世界に戻ったサラが自分の意思でどう
にかするという設定で詳細は謎のまま伏せておき、見た人それぞれが自分なりの答え
を導き出すと言うのが正道だと思います。なぜならこういう状況に対する反応は千差
万別ですしどうやってもまとまる訳がないのです。結果を描いてしまえば僕のように
見た以上突っ込まねば気のすまない奴がいるのですから思いっきり突っ込むだけ突っ
込んでいけばいいと思います。
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(No.1509) Tomoki 題名:極論ばっかりだったから・・・・ 投稿日 : 2000年1月23日<日>03時48分
toshi-yk > あと、シスの最終話の言葉は、僕としては製作者からのメッセージではなく、客観的な正論ではなく、彼女自身が
toshi-yk >敷いていた「本人が決めることだから強制しない」という分をあえて越えた、いまわの際の彼女の本音として見たい
toshi-yk >です。そしてサラは自分で産むことを選んだ、と。

 作り物のキャラクターが自分の意思で語る事などありません。台詞の裏には
必ず作者の意図を反映しているものです。仮に作者が「あのキャラはひとりでに
動いてくれるんだ。」と言ってもそれはつまり作者の深層心理の中で仮想人格が
エミュレートされているに過ぎません。そしてそれは当然作者自身の心理を反映
しているのです。当然状況設定も同じくそれに準じます。シスがああいう状況に
なって死ぬ間際にああいう事を言う様に設定したのであって、それは作者が「サ
ラが出産を選ぶ」状況にいたるためのステップとして用意したものなのです。
 いわゆる泣き落としという奴です。だから中絶反対派かと勘繰られても仕方な
いですし、僕が彼等にたいして思っている事をそのまま叩きつける事になっても
しょうがないのです。ただそれにしてもちょっと感情論に走った「逃げ」の要素
が感じられたので「自分で問題提起しておきながら許せん」と思ったのも確かで
す。

toshi-yk > ともあれ思うんですけど、あんまり「製作者の意図」への反感で「今僕」を切っちゃうのはどうでしょうか。例え
toshi-yk >ば、サラが「こんなことを訴えたい」為に使われたと考え、それが上手くいってない、あるいはその意図が身勝手な
toshi-yk >ものだとして腹を立てるだけじゃなくて、サラがあの世界で選んだ選択を「彼女の選択」として考えてみるのもいい
toshi-yk >んじゃないでしょうか。ただ「あんなのおかしい」じゃなく。

 「彼女の選択」など存在しません。サラという少女は作者の意図によ
って作られた駒でしかないのですから。もちろん作者の思い入れを持っ
て作品世界の中を動きまわるのですがそれは当然仕組まれたものであっ
て常に作者の意図を反映しています。それが嘘臭かったのですからもう
しょうがないのです。現にサラの最後に付いて褒め称えた意見がほとん
ど無い、女性からのブーイングもあるとなっては物語としての説得力が
無かったと言われても仕方ないでしょう。こういう問題に取り組んだと
いう「努力」は認めますし賞賛できるのですが、「結果」はあまり満足
のいくものではなかったということでしょう。この点に関しては今回は
完敗であったのではないでしょうか。女は未知の生命体なのです。
 次回に期待しましょう。

Mozilla/4.5 (Macintosh; I; PPC)
(No.1510) Tomoki 題名:極論ばっかりだったから・・・・3 投稿日 : 2000年1月23日<日>03時49分
 それぞれのキャラクターに関してはサラとアベリア以外おおむね順当なものになった
と思います。一番の問題はヘリウッドの崩壊の原因がヒロインの未知の力であまりにあ
っさり片付けられてしまった点ではないでしょうか。どことなく不自然な展開だったと
思います。まあどっちにしろ切り札はララルゥの力だったから見せ方の問題だけもうちょ
っとという感じだったと思います。あとハムドは結局アベリアに見殺しにされたのでは
ないでしょうか。彼が水中遊泳しながら「ここじゃない世界」へ舞い上がって行ったと
きアベリアは既にバウンド制御室にいたわけです。半瞬早く彼を助ける事も出来たのに
あえて水中遊泳を鑑賞しただけだったのはつまり助けられたのに助けなかったというこ
とでしょう。ハムドは今まで恐らく自分に課せられた難題を自身を狂気に浸しながら立
ち向かいはしても逃げる事はなかった。しかし彼が現状からの逃亡を企てた瞬間アベリ
アのハムドへの尊敬の念はついに潰え、命令を実行しなかったのではないでしょうか。 
 この最期はとても意味深くいいものだったと思っています。 
 それにしても恐らくいまの日本アニメで数少ないファンに媚びない一本気な作品であ
る事は確かだし、僕自身はこのアニメを別に嫌ってる訳ではありません。ただ扱ったテ
ーマが重かっただけになあなあですますようなあのラストがあまりふさわしくなかった
と思っているのです。
Mozilla/4.5 (Macintosh; I; PPC)
[ ログNo.1501〜No.1510 ]

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