今、そこにいる僕
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(No.1246) 天野 題名:本作の意図 投稿日 : 2000年1月08日<土>18時07分
>佐藤@komabaさん
>ですが,私はその中でのリアリティは現実とつなが
>っている(という認識をみるものが行うような)
> 必要は必ずしもなくてもいい,とかんがえていますし,
>この作品をみて,現実の紛争云々とかを想起しなくてもそれはそれで
>いい,とおもっています。というより,あまり,ヘリウッド
>が実は○○とそっくりだ,とか世界のあちこちではサラとお
>なじような事が行われている,等々ということにこだわらない
>ほうがいいのでは?と考えている次第です。

別に作り手側の意図を斟酌する事が作品視聴に必須とは言いませんが、
製作者の方が本作を現実の世界の出来事に重ね合わせている事は、
様々なメディアで露出している製作者のコメントを読めば明らかです。

従って、

>今僕をみて現実の社会を想起する必要は必ずしもないのではないだろうか?

現実の社会を想起する『必要』、『義務』などはありませんが、想起する事には
大いに意味があるし、製作者はまさにそれこそを求めて本作に挑んでいるのだと
いう事ですな。ま、そうした意図を全部無視してお気楽に物語に浸る自由も
受け手の側にはあるんでしょうが。

http://ww3.tiki.ne.jp/~sioworks/amano/index.html
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(No.1247) 天宮徳子 題名:私の謎 投稿日 : 2000年1月08日<土>19時25分
そういえば、今僕の原作って一体何なのでしょうか?
私がこのアニメを知ったのは、たしか第2話くらいからでしたし、
今僕のようなマンガも見たことがないので、全くわかりません。
だれか知っている人がいれば教えてください。
些細なことですがすごく気になっています…
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(No.1248) ぴーすけ 題名:オリジナルでは? 投稿日 : 2000年1月08日<土>20時10分
「今僕」はアニメ作品としてゼロから企画して作った作品ではないでしょうか。
いわゆる、オリジナルアニメというヤツです。
オリジナルアニメは、他にも一杯あるじゃないですか。
ガンダムなんかもそうでしょ?
子供向けのマンガ雑誌なんかで連載されているマンガもありますが、
それは原作と言う訳ではなく、オリジナルのアニメのストーリーに沿って
マンガ化されているものです。
最近は、ひとつの作品をいろいろな媒体で売るために、アニメとマンガで
同時進行、って多いですよね。
昔は、本当にアニメ一本のみの、オリジナルアニメが多かったのに、
最近は、回転が早すぎるからアニメだけを媒体として売るのも難しいのでしょう。
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(No.1249) toshi-yk 題名:暇そうだから長文いいですよね1 投稿日 : 2000年1月09日<日>02時56分
>佐藤さん
風邪まだ治っていないのですか、きつそうですね。素早く本題へ僕の。僕が「書けませんでした」と書いたあとに展開した分のうち、自戒はともかくリアリティうんぬんは現在の表現力じゃ展開不能なので忘却を希望します。だから「書けませんでした」だったのでした。ともあれ、
>この作品をみて,現実の紛争云々とかを想起しなくてもそれはそれでいい,とおもっています。
には、やはり反対です。僕は、作品の要素を現実の写像として扱う結果、その要素が作品内に持つ文脈をなおざりにするのを恐れる者ではありますが、それでも想起する程度の知識は持っていてしかるべきだと思います。もちろん類似性に気づいたうえでつなぐかつながないかというのはそれぞれの判断だと思っていますし、一人で両方やるのもOKで僕はそうしています。
>多分そんなことを考える人が多いのは作品世界に入り込めなかったのでそういう分析に集中したせいかもしれませんし,
とのことですが、「今僕」のああした性質の描写なら、類推する視点の発生は当然で、作品の出来とは別問題だと思います。
>いずれにしても,私はフィクションの情報はいわゆる現実の社会にとってなんの意味もなくてもいい,とおもってますから。
ですが、フィクションであれ現実であれ情報そのものに意味があるかないかというのは、それ自体はあまり意味の無い問題だと思います。フィクションの意味を現実から割り引くのは表現の自由と関連した政治的な問題のためでしょう。意味のあるなしは送り手、受け手それぞれの判断力に依存することで、おのおのの判断力は他者との係わりによって検査・修正される。ともあれ判断力を重視する点では
>むしろ,情報というよりは,情報を評価する力,
と書かれるあなたと大した違いはない。そこで核心、あなたの今回の疑義のきっかけは僕がMINEさんへのレスに書いた
>>その程度のことを読みとる知的基盤がないのはまずいとはおもいます
にあるようですが、これをあなたの言葉を踏まえて書き直せば、「今僕」では情報を評価する力のなかのフィクションと現実の間の類推が試されていて、それを出来るけどしないのではなくまるで出来ないというのは、明白に知識あるいは能力の欠如でまずいと思うのです。ただ、
>あるいはそのきっかけをあたえてくれるものであってくれればそれでいいと思っています。
>第一どっぷりつかっている子供達が,シュウやサラの事を自身の事のようにおもって対峙しているのであれば,それで充分でないか?などとも思うからです。
と書いておられるように、まだその基盤がまるきり未成熟な存在としての子供を出されると弱いですが・・・。僕の先の「まずいとは思う」発言の念頭にあるのは、一般視聴者からせいぜいMINEさんのいうような「青少年」までで、「どっぷりつかっている」ような子供は念頭になかったんですよね。それでも小学校4年生以上なら(自分を振り返っての曖昧な設定です、厳密な根拠は問わないで下さい)僕はやっぱり類推できる知識と能力を期待したいですね。
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(No.1250) toshi-yk 題名:暇そうだから長文いいですよね2 投稿日 : 2000年1月09日<日>02時57分
こうした一般論を踏まえて僕個人の態度はといえば、これについては天野さんが先にフォローをされている意見と大部分同様です。作品観賞法の中の一つの選択として、製作者の本望でもあるようだしそれを抜きにしても個人的には意味があると思い実行してます。
 ただ、天野さんはインタビューなど作品外の媒体に現れた製作者の発言をそうした見方の正当性の補強に援用していますが、僕は、たとえ製作者が全く沈黙していても、さらには(反実仮想ですが)現実との関係を全く意図せぬまま「今僕」を作っていたとしても、結果でき上った「今僕」のああした性質の描写と自分の持っている知識との類推から勝手にユーゴ紛争や過去のアジア太平洋戦争その他現実世界の戦争と比較しただろうし、その観点から描写に首を傾げるところがあれば批判したでしょう(この掲示板のような公的な媒体であれ、独語であれ場所はともかく)し、例えば製作者がそうした見方なり批判なりを作品の自律性なりなんなりを楯にして突っぱねるようなら、そういう態度もアリですが僕はやっぱりその製作者は作品を公開するということへの自覚が足りないと考えます。公開とは自分の作品理解が誤解に変わるかもしれない危険を含む行為でしょうから。
 むろんそうした現実との比較による批判がその正しさを無条件に保証するものではないですし、やっぱり悲惨を描くにせよ作品内部で悲惨の必然性を用意するべきだと考える点ではおそらくあなたと同意見でしょうが、僕がサラのよそ者性に起因する強姦の理由付けの欠如感を疑問視するのは、不十分なものですがボスニア紛争の集団レイプ事件に関する知識が背景にある。このように、作品の自律性を尊重しその欠如を批判することが現実との類推から行なわれる場合もあり、両者は必ずしも排除しあうものではないと思っています。

>すこし乱暴な文章になってしまいましたが

全く問題ありません。少なくとも僕の過去の書き込みの一部に比べれば。今回もあまり自信が・・・。あなたの書き込み内の文章の順番の再構成が恣意的な部分もあるかと思うので、意に沿わない部分があれば指摘お願いします。
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(No.1251) toshi-yk 題名:暇そうだから長文だけどダメでしたか 投稿日 : 2000年1月09日<日>03時01分
 話は変わりますが、一番説明したかった(そしてあなたが意見を求めていたであろう)「アニメとして」の「今僕」の魅力について、結局説明できてなかったのでそれを。前に土台の部分がしっかりしてると胡乱な表現をしましたが、代表を一つ挙げれば僕はそれを表情描写に見ています。前にも詳しく書いたような書いてないような気がするし、無粋な真似だとは思いますが、一話冒頭の水飲み場シーンを例にとって詳しく書きます。

 水飲み場、蛇口に吸い付いて水をがぶ飲みかーぶるぶると共感不能な挙動を見せるシュウのところに、小田とマネージャーが現れる。シュウはマネージャーに気づき口をだらしなく広げるも、二人ともシュウを黙殺。小田、目でタオルを要求し、マネージャーが渡す。
 無視に抗するように、またマネージャーに負けにこだわらず相手を認める潔い自分を演出するためでもあろうか、ことさらに大声で「君、強いな。名勝負だった!またやろう!」。小田「君とはやりたくない」。は?とふぬけるシュウをよそに小田は「君のは剣道じゃなくチャンバラ」という侮辱。続いて、感心してんだかあきれてんだかわからないがとにかく目を丸くして手の動きを追うマネージャーの存在を忘れたようにシュウに自前の剣道論を展開するが糠に釘。業を煮やしてつかみ掛かろうとする小田を、マネージャーが、タオルを引き取ることで止める。驚くシュウ。マネージャーは、体の力を抜く小田を見て、微笑みかける。
 ぼんやりした様子で二人を見ていたシュウは、マネージャーの視線と微笑みに気づき、猛スピードで彼女から目を逸らす。やっぱり小田の先導で、二人は去る。この間マネージャーは無言、かつおそらく一度もシュウを(少なくともまともに視線を合わせる形では)見ていない。背中越しにシュウ脱力。

 と、この一連の場面の、視線を中心とした表情描写に、アニメとしての「今僕」の魅力の凡例を見るのです。複数のカメラをころころ取り換えて(便宜的表現)派手なセリフの応酬と並行して派手な表情の人物の顔を猛スピードで互い違いに描写ってのではなく、一つのカメラの時間を少し長めにとって、その中で視線や微妙な表情に凝るアニメは最近なかったように思えます。むろん技法がどうこうというだけではなく、その描写から微妙な感情を色々受け取ったからこそですがどうでしょうか。早く風邪が治るといいですね他人事〜。失礼しました。

**********
 話は変わって、貴重なものといえばララ・ルゥの笑顔。ぼんやり第十一話を見返していて、シュウにゲンコツ食らわしたシスが「お前は石頭なんだからこれくらいでちょうどいい」と言ったときに、ララ・ルゥの口元がほころんでいるのを発見。その後話題がサラに及んだ途端に元の木阿弥ですが。
 あと、カザムの声を当てていらっしゃる松山鷹志さんって、「こどものおもちゃ」で羽山父やってらした人じゃないでしょうか?第十一話の「サラ、だったか・・・」でぴーんと来たんですが。「こどものおもちゃ」は故あって最初と最後のそれぞれ十数話しか見てないのですが、あの「秋人・・・(漢字あってますかねえ。これを思いだしたんです)」を始めとした、いそうでいない味のある声での訥々とした演技が好きだったんですよね。多分間違いないと思うんですが。
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(No.1252) toshi-yk 題名:補足短文 投稿日 : 2000年1月09日<日>04時25分
 戯れ言2か3のなかで、サラをララ・ルゥに比べて生身と書きましたが、そこからララ・ルゥに当て戻して彼女の非人間性を指摘するのを忘れていました。どう考えても一発逆転があるとすればその可能性は彼女の非人間的な力が握っているのでしょうが、その発揮に向かえば向かうほど物語の結末も彼女も楽しみ苦悩する死すべき個人としての人間のレベルを逸脱していく。まあ彼女が何者でどんな力を発揮しようが、シュウが彼女を代えの効かない一人の少女と、シスが自分の娘と思い続けるかぎりは彼女は人間のレベルに引き戻されるので、お二人には頑張ってもらわねばならんし、出来ればしつこいが第一話以上の笑顔が見たいのだけどどうなるんだろう。
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(No.1253) えんじん 題名:あぁ、手が・・・・・・ 投稿日 : 2000年1月09日<日>12時55分
カザム=松山鷹志=羽山父、はその通りですね。あと、こどちゃで何役か。
大地監督関連でいっても、他におじゃるや浦安・・・・・・
その他だと色々。いろいろ。イロイロ。

 サラの石でガンガンやるシーンは、堕胎というには危険すぎですやね、やっぱり。
それを思えば、半分自殺というか・・・・・・時期が早いからそこまで母体に影響は
ないかもしれないけれど、子供を産めない体になっても別におかしくはないと思われます。

 子供を産んで、命を未来に託す→本当の意味で、生きる

と考えれば、もう私には生きる意味がないの、ってな感情の表れ?
まぁ、望まない行為によって出来てしまった胎児へのいいようもない嫌悪感というところだろうなぁ。
 自分としては、あのような方法はいただけないけれども、堕ろすこと自体は別にかまわないと思いますが。

むーーーー、とりあえず、サラ、村のみんなに危機を教えてやれよ。
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(No.1254) ラバウル銀座 題名:ハムド感情移入 投稿日 : 2000年1月09日<日>23時47分
「理想の世界を作るんだ。」とか希望に燃えていた若き指導者が、さまざまな妨害を受け、それと戦ううちに戦いそのものが目的とすり替わり、「どいつもこいつもバカばっかりだ。」と、心ねじくれていったと言う妄想シナリオで楽しんでおります。
アベリアは古い同志の生き残りかな。あとの同志は「反動分子」とかで処刑してしまったと。ポルポト風な感じで。
妄想シナリオ的には、アベリアに愛想つかされ、裏切りの銃弾に倒れるのが、うれしいかなと思う。死に様が見苦しければなお良し。
嗚呼、アベリアに撃たれたい。
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(No.1255) 天宮徳子 題名:感謝!それとなんかドキドキ(?)しました 投稿日 : 2000年1月10日<月>01時28分
今僕はオリジナル!?そうだったんですか!
ぴーすけさんどうもありがとうございました。
自分の好きなアニメの原作を見るのは私としてはすごく勇気のいること
だったので、オリジナルと知ってとても安心、嬉しいです。
本当にありがとうございました。
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